⒈UNICEFの主な活動を知る
UNICEFとは国連児童基金のことで、主に世界中の子どもたちの命と権利を守るために活動しています。
世界中と聞くと途方も無いように思いますが、基本的には最も支援が届きにくい場所にいる子どもを最優先にしているのが特徴です。
例えば紛争地帯や飢餓に苦しむ地域、大きく分けると南アフリカ一帯が最も多くの支援を受けています。
次に北アフリカや中東、アジアもその後に続きますが日本は支援対象の中には入っていません。
逆に日本を始めとする先進国は、それぞれの国内にUNICEF協会を設置しています。
これは本部から見た支部といった位置付けで、独自の協力協定に基づいて募金や広報活動を行っています。
よく日本の有名なアスリートや芸能人がCMなどで支援を訴えかけるシーンを目にしますが、それもこの日本支部を通して行われるものです。
日本人からすると紛争地帯の子どもは遠い存在に見えるものの、実はその支援はとても身近な場所から出来ることが判ります。
支援されたお金が何に使われるのかについては、なかなか一概には言えません。
しかし代表的な用途とされるのが、保険や栄養、衛生といった生活に直結する分野です。
その他にも教育の援助や暴力からの保護、HIVの治療や予防のためにもお金が使われています。
支援をする側がこれに使ってほしいと要望することは、まず出来ないと思っておきましょう。
ですが必ず何かの助けにはなっている、それが寄付や慈善行為の基本事項です。
⒉一人でも多くの人の支援が必要です
とはいえUNICEFの活動地域は、実に190の国や地域に上ります。
まだまだ支援するためのお金や情報が足りない、それが常に現状としてあります。
そこで日本の支部の方でも、100円の旅というものを紹介しています。
これは1人1人が100円ずつを出し合い、それが1つになればとてつもない規模になるというものです。
100円相当の何か、でも構いません。
小さな金額でも積み重なれば大きくなる、当たり前のようですが忘れがちなことをテーマにして支援を募集しています 。確かに人の心理として、ちょっとくらいのお金を出しても意味が無いと考えてしまうのは自然なことです。
どうしても大きな出費をしなくてはならないのではとか、富裕層の人や企業が出せばいいのではとか、そういった思考になるのは悪いことではありません。
ただ1人でも多くの人が100円の旅のようなことが出来れば、世界にいる子どもたちは今までの何倍もの幸せを掴めるかもしれません。
たかが100円されど100円、この100円の旅が持つ意義は非常に大きいと言えます。
⒊UNICEFの支援プログラム
更にUNICEFでは、独自の戦略計画を立てています。
現段階では2018年から2021年を目処に、優先的に達成すべき成果項目について触れているのです。
その中のいくつかを見ていくと、まず子どもの生存と成長が挙げられています。
現在の世界では貧困や医療従事者の不足から、健康に生まれたり母子共に安全を保証されたりすることが極めて難しい地域があります。
その状況を支援プログラムを通じて改善していこうというのが、戦略計画の1つです。
他には公平な機会の確保もあり、紛争や差別、疎外によって権利を失っている子どもたちを救うのがテーマになっています。
日本では想像出来ないような極度の貧困に苦しむ子どもを、可能な限り減らしたいというのも戦略計画の一部と捉えてください。
2つの分野横断的優先事項というものもあり、これには人道支援とジェンダーの平等が含まれています。
女性や女の子が何の気兼ねも無く過ごせる世界を作ること、これもUNICEFが持つ役割です。
人道支援やジェンダーの平等は子どもに限った話ではありませんので、より身近に共感を得るような人もきっといるでしょう。
以上が、大まかな詳細と活動内容です。
⒋支援する意味を知り行動したい
協力はもちろん各国の政府も行っており、日本政府からも拠出金が出ています。
それでもまだまだお金は足りませんし、理解も進んでいません。
人知れず苦しみ命を落とす、そんな子どもが毎日数え切れないほどいるのは日本では想像出来ないでしょう。
支援に参加することと同時に、そうした現実を学ぶこともきっと子どもたちのためになるはずです。
もし少しでも心を動かされたり何か感じることがあったならば、是非一度UNICEFのホームページを閲覧してみてください。
動画サイトにもこれまでの歩みや活動実績が載っていますし、非常に解りやすいです。
世界にはそれぞれ親善大使もいますから、その人たちのメッセージを見て協力を決めても構いません。
100円から出来る支援があること、それがやがて大きな救いになることを、1人でも多くの人が気付ける世の中にしていかなければなりません 。最後に、支援の原点はまず知ることにあります。
知らなければ何をどうすればいいのか、そもそも何かする必要があることすら判りません。
無関心ほど酷なことはありませんから、継続的でなくてもいいので少しずつ学んでいけるのが理想的です。
最終更新日 2025年4月25日 by トゥルソワソワ